転職 支援がとにかく 安い
聞かない企業はない。
入社動機もはっきりしない者を採れば、担当者は配置換えだろう。
多くの場合、動機がヤル気の原動力になるからである。
まさに、学生、企業にとって、シューカツ最大のヤマ場のひとつといえそうだ。
だからこそ、学生たちは、ねらう会社の資料を出来るだけかき集め、読み込み、OB・OG訪問もして、「御社」のイメージを膨らませようとする。
その努力は涙ぐましい。
本音は、「世間体がいいから」「給料が高いから」「格好いい男性が多そうだから」「すごいビルに入っているから」……などと考えている若者もいるかもしれないが、めったなことではそんなことは言え(わ)ない。
大企業、優良会社にとっては、受験生たちから連日、こそばゆいような賛辞を送られ、ラブコール漬けの日々といえそうだ。
知り合いの中小企業経営者が「まあ、タヌキとキツネのだましあいみたいな部分もあるな」と言っていた。
「なんと不謹慎な」と怒る方もいるかも知れないが、就職試験というものはいわばお見合い。
双方互いに多少の見えを張るのは致し方ないだろう。
ただ、企業にとっては、採用はしたものの、見た目より中身がいま一つでした、という訳にはいかず、どうしても学生を見る目が厳しくなるのは、ある程度やむをえないような気もする。
なぜなら、一度採用すると、社の求める人材に鍛え直すのはなかなか大変なこと。
戦力になるどころか、社会人としてのイロハから教え込まなければならない、というのは何としても避けたいところだ。
ところで、この原稿は、十年近いクラスの取り組みを振り返りながら、シューカツ戦線の実態に学生サイドから出来得る限り迫ろうという、大層な?ことを考えているものなので、好むと好まざるとにかかわらず、講師の私もところどころ顔を出すことになる。
私としては誠に居心地がよくないものの、シューカツに関して、おそらく初めて、若者の心に正面から迫るものになるだろう、との強い思いが後押ししてくれた。
文章教室の先生は、私に「頑張れ」と言ったことがない。
先生は、口でわざわざ言わずとも私を頑張る気にさせてくれるのである。
先生の声や雰囲気、そして人格にはそんな力がある。
先生と出会ってからまだ十カ月しかたっていないというのに、先生は、私が負けず嫌いで気が強く、頑固な一方で、ひそかに繊細なところがあるということもすべてお見通しだ。
だから私は、親にも言えないような弱音や、友人にも照れてなかなか話せない夢や将来を、先生の前なら抵抗なく口にすることが出来る。
(略)そんな先生から学んだことは山ほどあるが、そのなかでも一番大きなものは「還元」の精神である。
先生は私たちのために、必死になってさまざまなことを伝えてくれる。
そんな先生に私は救われた。
だから私も誰かを救うことでお礼をしたいと思う。
もっと知識や経験を増やし、先生が私たちにしてくれるように、私もいつか生徒に自分が持っていることのすべてを伝える気で教職につきたいこれが、私の大きな目標だ。
何もかもが使い捨てのこの世の中で、先生が身をもって教えてくださった人と人とのつながりの大切さ。
この精神は、世のなかに還元するべきだ、とクラスの受講生も感じていることを、私は信じている。
ドーンという音で目が覚めた。
暗闇のなかで恐怖が体に降り注ぐ。
今も忘れることが出来ない阪神淡路大震災の朝。
1995年1月17日、6千人以上の方が亡くなった。
私は十歳だった。
会社訪問を重ね、試験を受けに行く度、学生たちの多くは「給料をもらうというのは大変なことだ」と実感するようだ。
第一、サラリーマンやビジネスウーマンと自分たち学生とは、顔つきからして違う。
ものの言い方、電話の応対ひとつ、どれをとっても無駄がない。
自分の父親も会社ではこんな風にシャキッとしているのだろうか。
学生のメッセージ。
まず未曾有の災害復旧に立ち向かった父親へ、娘のまなざし。
幸いなことに私の家族や家は無事だったが、町の景色は前夜のものとはまったく違っていた。
私たちは町と心に大きな傷を負った。
私の父はガス会社に勤めている。
私たちの暮らしのなかにガスを届けるのが父の仕事だ。
地震が起きて、電気もガスも水道も生活に必要なものがプツンと途絶えた。
「災害のときにこそ仕事に行かなければ」。
父はそう言って、その日の朝、電車も不通になっているなか、自転車で仕事に出かけて行った。
その日から半年、父は被災地での泊まりこみの仕事を続けた。
破れたガス管をつないだり、一軒一軒、安全確認のため神戸の町を歩いているのだ、と週に一度帰宅したときに教えてもらった。
父のいない生活。
余震も続くなか、私と弟の前で元気に振る舞っていた母も、きっと不安だったに違いない。
私自身も父がいないことに対する心配は大きかった。
しかし、その半面、人々のために働く父の姿を、頼もしく、尊敬の思いで見ていた。
神戸の復興の様子がテレビで伝えられるごとに、誇らしい気持ちになった。
地震をきっかけに、今まで知らなかった父の仕事の大切さ、父の偉大さに気づくことが出来た。
私の夢は、父のような人になることだ。
人々の暮らしを縁の下で支える父のように、私も周りの人の支えになれるような存在でありたいと思う。
私も父もあれから同じだけの年を重ね、私は少し大きく、父は少し小さくなった。
しかし、私は目標をまだまだ超えられそうにない。
近づけるように頑張らなくては……。
父にはまだまだ元気でいてほしいと思う。
あれから十年(これを書いたのは2005年)、今年も犠牲者への鎮魂の明かりがともされた。
目に見える震災の傷は癒え、今日も父は仕事が終わると真っすぐ家に帰って今年の春、父がリストラに遭った。
会社が部課を統合することになり、管理職だった。
親の背を見て子は育つ。
何も言わなくても、子は分かっているはずだった。
だが、最近の、家族をめぐる陰惨としか言いようのない事件を見ていると、この作文のような親子の姿に救われる思いだ。
次は、男子学生。
「独立する」。
父が突然、宣言した。
退職してから一週間もたっていない。
宅配業を始めると言う。
既に契約も済ませていた。
朝6時に起床、帰宅は夜十時くらい。
父の生活は一変した。
それでも、「いつまでもブラブラしてられへん」と話す父に、責任感の強さを感じた。
共働きの母も「父さんが頑張るなら」と同じ時間に寝起きした。
しかし、50を過ぎた父にとって、この仕事は厳しかった。
会社との契約に不備があることも分かった。
報酬の支払いと割合が、会社有利に作ってあった。
「いくらもうけても、こちらはほとんどもうけにならん」内容だ。
再び退職した。
借金だけが残った。
2、3日、部屋でボーッと過ごす父を見た。
一人、部屋で背中を丸めている姿に胸が詰まった。
これからどうなるか、不安そうだった。
「一級建築士、取っとかへん?(取っておかないか?)」。
母が父に提案した。
既に筆記試験は通過していた。
仕事が忙しく実技試験を受けられずにいた。
「でも、仕事せんと……」と迷う父を母は諭した。
「ウチも働いとるし、失業保険もあんのや。
焦らんかてええっ!」週2日ほど、父が学校に通い始めた。
母が働き、父は学ぶ。
そんな両親を私たち三兄弟が支える形になった。
炊事、洗濯を男四人で順番でこなした。
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